自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2012/12/06

VOTE

とにかく選挙へ。

来る 12月16日の選挙は、日本の明暗を分ける選挙です。
子どもたちの、みらいを決める選挙です。
原発が爆発して放射能が国中に大拡散したのだから、いまさら脱原発が「選挙の争点」になるかならないかで揉めるとも思っていなかった。選挙なんてしなくても、脱原発が決まることは当然だと思っていた。が、事故がなかった他のいくつもの国が、福島を教訓に脱原発へ舵を切る中で、日本は大飯原発を再稼働をし、原発をなくすかなくさないかまだ定まらない。そのうえ、原発をこの期に及んで推進し、改憲をして戦争のできる国にする、徴兵もすればいいという公約を掲げる党も出てきました。もう意味わかりません。

今、日本にたまたま帰国しているのですが、この選挙のこともあり、家のこともあり、バタバタしすぎて何もまとめられることができません。のちほど。

だけどこれだけ手短かに。
とにかく、とにかく、選挙へ。
これ以上、この国になめられてどうする。
わたしたちに、ありがたくも与えられた「投票」という権利で、自分たちの手で、自分の代理となる「代議士」を選び、国のゆくえを決めましょう。
それが民主主義だ。
決められるんだよ、わたしたちが。


2012/10/05

倫理的なエネルギー


「原発は倫理的なエネルギーではない」

少し前のことですが、ドイツの「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」(倫理委員会)が、脱原発を結論づけるために議論し、出した公式な発言です。委員には原子力の専門家はひとりも入っておらず、牧師や哲学者、社会学者、金融関係者、労組の代表や消費者団体、環境団体のメンバーなどから構成され、公開討論会などを通して「国民的議論」として、政府の決定した脱原発について、意見をまとめました。

ここで出された結果を尊重したメルケル首相も褒めたいですが、こうしたバランスの取れたオープンな意見聴取の形をとったドイツ、社会が成熟しているし、国民主権なんだなと思います。原発のことを(事故が起きる前も後も)偏った専門家に任せている日本と大違いですね。

当初、委員の考えはそれぞれの立場からまちまちであったのが、丁寧な議論を積み重ねるうちに深められ、やがて生きる根源的なもの、倫理的な考えに至ったそうです。そこには電力源シナリオやコストや GDP の話などはまったく出てきません。 ただ:
1. 原発はひとたび事故を起こせば、必ず甚大なリスクを引き起こす
2. 事故の影響は国境をまたぎ、地球規模のリスクとなる
3. 事故はその時だけでなく次世代へ計り知れないリスクと禍根を残す
という事実から、「こんなもの、いらないよね」となっただけ。

ご興味のある方は ☞「国民的議論をいかに進めていくか 〜ドイツ倫理委員会の実状と脱原発へのプロセス(ミランダ・シュラーズ)」。

原発はエネルギー問題ではなく、倫理の問題(電力どうこうじゃなくて、どう転んでもやってはいけないこと)だということは、京大の小出裕章先生もずっと前から仰っていました。著書『原発のない世界へ』の中でも;
「私が原発を廃絶させたいと願うのは、原子力が危険だからという前に、原子力が始め(ウラン採掘)から終わり(廃棄物処理)まで、いわれのない犠牲をしわ寄せするからです。私は今後とも原子力に抵抗します。一人一人の読者の周りにもまた、いわれのない犠牲を強いる差別が満ちているはずです。その差別に抵抗し、差別のない世界ができたとき、原子力もまた廃絶されているはずです。」(2007年)
「原発がなくなれば、それで望むような社会ができるわけではない。原発を廃絶させることは、望ましい社会を築いていくための1つの課題であり、基本的な目標を忘れずに、1つ1つの選択をしたい。」(2000年)
と述べられています。

小出先生は「たかが電気(をつくるだけのもの)に、犠牲にするものが多すぎる」という主旨のこともどこかで言われていました。だから、わたし(小出先生)は「脱」原発なのではなく、「反」原発なのだと。

原子力発電の工程の中や、被ばく労働者、原発城下町の地方と都市部という問題だけなく、事故が実際に起きてしまった今、さらなる分断や差別を生みました。被ばくの問題、放射能の話題はタブーの福島、放射能の危険を訴える人と耳を塞ぐ人(それも地域の中と外で)、避難する人とそれを中傷する人、被災地の逆境の中で生きる人と被害を何一つ被らなかった人、被災した方々の中にも家がある人とない人、家族がある人ない人・・・それらに対してすべての問題に無関心な層。原発の反対運動の中や外でも。

汚染された被災地とされていない被災地という違いは、特にずっとひっかかっています。放射能汚染で警戒避難区域となった上に津波や地震の被害も大きかった福島の一部では、家族の遺体を捜しに土地に戻ることすらできなかった。震災直後、制御不能になった原発への対処に国の大半の力が削がれることがなかったら、地震や津波で凄まじいことになっていた被災地の救援がもっと迅速にできたのではないか、といつも思うのです。救われた命だってあったはずです。復興だって、こんなに複雑ではなかったはず。(余談ですが、除染をするかしないかの問題はそれはそれで存在するのですが、除染で出た汚染土に行き場がなく、敷地内に置いたままになっている住宅や事業所が福島県内には 1500カ所あり、今その量は家庭用のゴミ袋に換算して 26万袋分になっているとか(NHK調べ)。)

これは人権の問題だとも思いますが、人間だけではありません。浪江町(福島第一から20km圏内警戒避難区域)の牧場で、300頭の被ばく牛を育てている「希望の牧場」の吉沢さんの話などは、原発事故で一番被害を受けた第一次産業のダメージの最前線だと思います。(上記のリンクには家畜の死体などショッキングな写真が含まれます。でも、それがリアリティ。わたしは知ってよかったと思いました。)「棄民政策」、福島は国からも誰からも捨てられた、という言い方をする人もいますが、うずたかく積まれた牛の骨の写真を見ると、その言葉がズシンと入ってきます。いまだ危険な放射線量が続く20km圏内の、家々はあるのに人の暮らしがこつ然となくなった街、戻ることのできなくなった故郷、野放しになって多く亡くなったというペットたち、散り散りバラバラになったコミュニティや家族、自殺者、被ばくした子どもたち・・・震災の上に重なって起こった原発事故は、直後の被害や喪失だけでなく、半年後も、一年後も、今になっても進行する苦しみを生みました。

蒸気でタービンを回すだけのたったひとつの工場の事故で、もたらされるのがこの犠牲。しかも一部の地域と一部の労働者に危険なお世話を任せて、安全圏に住む人々が成果物を享受していた。経済発展の旗の元にもっともっと電気を消費して、原発の数の方に消費を合わせようとすらしていた。これらのことを考えると、自分は倫理を人に諭せるほど清らかな人間ではないですが、原発だけは倫理的に心底「正しくない」と思います。子どもが幼稚園の先生に教わるようなレベルの「やってはいけないこと」が社会の規模になると見失いにくくなるようです。

最後に、抑えておかなければならないのは、倫理感から離れて現実的な議論(経済への影響や電力需給)になっても脱原発には具体的な解決策が存在するということ。もう、これで、やめなくてどうすんだよホントに・・・。国民がやめよう!と強く訴えない限り、既得権益にからまっているおっさんたちは、この期に及んでも止める気はさらさらないわけで。ここで一般市民が蜂起しなければ、日本は本当に終わりだと思います。

2012/09/26

移住小咄2・ダウンシフトの好機

夫は日本の人ではないので、いつかは日本を出るつもりでいました。国をまたいだ引っ越しが人生の中で何度か起こるであろうことは、外国人をパートナーに選んだ時点でくっついて来た必然です。こんな前代未聞の災害に襲われた今じゃなかったら一体いつなんだ?というのもあったし、丁度うちの子が日本の小学校にあたる primary school 入学の時期だというのもあり、この夏のタイミングとなりました。あと、自分も夫も仕事面で環境を変えるチャレンジがステップアップ/キャリアへの刺激になるのではないかという考えもあったし、(夫にとっては母国だけど)わたしが今度は外国人になる側で、そういう試練(?)も自身の成長のためかなと(ちなみに「外国人」という点では、移住者がレアではない UK と違って、日本で外国人として暮らす方が厳しかったはず)・・・ということで、震災が大きな理由ではあるけれど、それだけに押されたわけではありません。そう決めつけたくない部分もあるからかもしれないけれど。すべてはタイミング。好機に結びつけられるものは、すべてする!

バタバタで自分のビザの手配や引っ越しの準備をはじめ、家を出る1分までパッキングをしていたようなカオス状態で飛び出たのですが、いざリビングを出て荷物を手にして玄関に向かうとき、住み慣れた家を見回して家族全員で抱き合って泣きました。別に強制移住させられるわけじゃなくて自分たちの選択なのに、やはり人とも、物質とも、場所とも、別れというのは悲しさを伴うものでした。大好きな家と街でした。ここでもまた、長年暮らした場所を突然奪われて戻ることもできないという福島や被災された方々の苦悩を想像し、この自分の比ではないと胸が苦しくなりました。ふたたび、腹もたちました。原発、ぜったいなくしてやる!(← 必ずここに着地)。

何かを掴んだグーの手のまま、新たに何かを掴めないように、大小はあっても必ず何かを手放して失わなければ、新しいものは手に入らないんだなと改めて思いました。

こっちにきてから、もうすぐ2カ月が経とうとしているのですが、物理的にというより精神的に落ち着くまで時間がかかりました(かかっています)。他の国で暮らすのは初めてのことではないし、10年ほど前から一時的にこちらにも何度も来ていたのだけど、その時よりもやはり生活の軸を移す大きな移動だったので、今までに感じたことのない小さな不安や不満がひと月ほどうずいていました。日本にはもう二度と戻らないのかなぁと考え込んでみたり、生活の中の些細な不便さを不満に思ったり。

福島第一原発が爆発した直後の昨年3月半ばに、ひと月こっちに来ていたときも感じた「(自分だけ安全圏に逃げてきた)後ろめたさ」のような気持ち、今回の移住でも少し感じています。誰にも責められていないのに、なんなんだろ。その自分の気持ちを打ち消すべく、そしてやっぱり自分の母国が健全であってほしい、子どもにも日本のことを忘れて欲しくないしアイデンティティを保っていてほしい、いつか戻れることがあれば懸念なく戻ることのできる場所であるように・・・と思うので、原発の問題の解決にこちらからできることをしていこうと思っています。

それともう1つ、意識していきたいのは生活のダウンシフト*です。日本でも個人の生活のダウンシフトはできたはずなので、そのために環境(国)を変えるなんぞ贅沢な話なのだけど、こちらでの生活の方が断然そうしやすい気がします。ダウンシフターとなることは、震災後、日本人の多くがひっかかった「これから生活を少し変えていかなければならないのでは」という漠然とした感情の具体的な出口だと思っています。これまで「便利さ/快適さ」の追求=豊かさであったのが、震災で人間の命や暮らしの中の物質を突然喪失する体験や、エネルギー問題への注目を機に、ずっと当たり前のように掲げられて来た「経済成長」に疑問符がつきました。いつまで経済は成長しなければいけないのか。いつまで電気を湯水のように使いつづけるのか。もう実は十分成長しているのでは・・・。【知るを足る】必要以上追い求めずほどほどで満足する、それが新しい時代の豊かさなのだと思います。利便性(例えば交通機関やインターネットの遅さとか些細なこと)を日本と比べてこちらの環境を不満に感じたのは、よいきっかけでした。便利さにおいては他国の水準が低いんじゃなんくて日本が高水準すぎるわけなので、それに甘んじてるとほんと感覚が鈍るので、照準を「ほどほど」に合わせ直して、徐々にダウンシフトをしていこうと(急には難しいだろうから、無理せずゆっくりと)。この個人的な試みの報告もしていければと思います。 

カタい話でなく、単にこちらの暮らしの珍体験(?)や土地の紹介を呑気に綴ることができればいいんだけどな。徐々にそうしたいと思っておるところです。 

【 Word 】ダウンシフター/ダウンシフト:消費を減らし、(たとえ収入が減ったとしても)労働時間を短くして、家族やコミュニティ、環境など、「より大切なこと」に時間をあてて関わることで、生活が充足する。生活のペースを下げて今よりもゆとりのある生活にシフトするという考え方。欧米やオーストラリアなど各国で広がりつつある - 中国は真逆な感じしますが)。世界の中にはもともと急がないのんびり時間の「天然ダウンシフト」な国や島があるから、先進国内でのコンセプトなんでしょね。

2012/09/24

移住小咄1・暮らしとリスク


先月から何ごともなかったかのように脱原発やアクティビズムあれこれしか記してきませんでしたが、8月のあたまに夫の国であるスコットランドへ越してきました(サラっと言ったけどもー!)。以下、このことについて、やっと整理ができる時間が持てたので、自分のきもちのメモとして。

きっと今年は人生の中のひとつの大事な岐路なのだろうと思います。昨年から移住の話はずっとありました(震災と原発事故がほんの昨年だというのが信じられないくらい、数年前な感じすらしますが)。周辺の外国人の知人友人の半数以上が昨年のうちに国に帰っていたけれど、わたしたちは「外の要因に迫られて引っ越すのは非常にしゃくである」として、越す時は自分たちのタイミングで越そうと決めました。

越すことにまっすぐ向かい合うまでに時間がかかりました(だから越すと決めてからのひと月半ほどが、すごいスピードで、周囲にご迷惑をおかけしたのだけど)。主に夫の仕事の理由が大きかったけれど、やはり生まれ育って生活を築いてきたところが心地よかったから。そして被災地の方たちと何も被災していない自分を比べて、贅沢だとも思いました - どこか越せる先があるということ。家族や家財が無事で、なにも失っていないということ。福島などから自分の住む町へ「移住」してきた方々もいるということ。

東京が 3/15のプルームで放射能汚染されたというのは事実だし、いまだに汚染地である認識をしています。それでも、そこで遊び場や食品にできるだけ気をつけて気を張って1年半過ごし、今年に入ってからは地震の活動期(関東の地震)や事故前と同じ構え方で運営され続ける原発への危惧も増してきました。これまで調べてきた中で、今後の地震の可能性・想定や汚染の度合いなどを見て、東京はかろうじて暮らすことのできる場所であるという判断をしていましたが、そうするならそれなりの備えと心構え(覚悟)が必須だと思いました。それも結構な間、ゴールがなかなか見えないままで。わたしは(放射能汚染にも地震にも)自分の注意力がおそらく持たずに、年月を経るごとに緩くなっていくだろうと思いました。子どもをその2つのリスクから守り抜くことができるだろうか?というのが一番の問いでした。大人2人だけの生活であれば、移住は考えなかったと思います。

しかし、その今の日本の放射能汚染と地震被害のリスクから遠ざかったとしても、他の場所にも他のリスクがあります。数ヶ月前に、北京で暮らしている知人が2歳の息子くんと東京に一時帰国して「日本の食べ物は安心して食べられる」と言って、向こうに送る用の食品や衛生用品を買い込んでいました(脱線ですが、放射能汚染を受けて諸外国が正式な輸入を禁じている日本の食品は結構あるんですけどね)。国内の放射能汚染のことももちろんよく知っているけれど、北京の大気汚染や農薬まみれの食品に比べたらマシだと。業務用の空気清浄機を4台も家の中に置いて毎日フル稼働させているけれど、数週間でフィルターは真っ黒で、毎晩寝つく頃には家族全員咳が出ると。空が大気汚染で灰色の日が大半なので子どもを外で遊ばせられる日はほとんどなく、室内に大型遊具を置いて遊ばせ、子どものことを考えて年に数回は日本に "保養" に帰っていると聞いたとき「福島じゃないか」と思いました・・・。度合いと種類は違えど、どこにも必ず存在するリスク。もちろんスコットランドも例外ではないと思います。それぞれの国にそれぞれ異なるリスクはあるけれど、内戦にしても、公害にしても、農薬にしても、放射能(原発)にしても、犯罪にしても、人の手によって生じているものです。そうである限り、時間はかかるかもしれないけれど、人の手によって防ぐことができるし、止めたり抑えたりできるものなはず(だから腹もたつ!)。かなわないのは、地震くらいでしょう。

日本で食べ物に気をつけたりすることは日常になっていたので特別なことと思っていなかったのだけど、こちらに来てから、日本では結構なストレスがかかっていたんだなということがわかりました。無意識に産地をチェックしようと食品の裏をくまなく見るクセが抜けなかったり、芝生で子どもがごろんとしたときに一抹の不安がよぎったり、少し家具が揺れたら地震と間違えて身構えたり・・・。ひとまず、これまでの非常事態モードを解除するところから始めないと。落ち着くまでしばらくかかりそうです。

《つづく》

2012/09/18

大衆運動と報道

朝日新聞のデジタル版に、TBSの報道局の方が書かれた『日本のテレビ局はなぜ反原発の動きを報じ損ねたのか?』というとても興味深い記事が載っていたので一部引用してダイジェスト版で紹介したいと思います。消えてしまう前に本当は全文転載したかったのですが、禁じられているので(全文はこちらから)。

表題のことについては、ずっと落胆していました。それをメディアの中の人が提起してくれたことは希望が持てる反面、やっとですか・・・という気持ちも。

「一色に染まりがちと言われている日本のマスメディアにおいて、首相官邸前や各所で展開されている脱原発、原発再稼働反対を訴えるデモ・集会をめぐっては、メディア間にはっきりとした扱いの違いがみられる ... この違いはどのような理由によるものなのか」として;新聞では、読売・日経・産経は明らかに脱原発の市民運動に対して「抑制的、あるいは露骨な嫌悪さえ滲ませている」報道、逆に、東京・毎日・朝日は「今回の事態に一定のニュース性を見出して、比較的大きく報じていた。とりわけ東京新聞は、紙面を大きく割いて集会・デモの様子を詳報している。」と。東京新聞の論説委員の長谷川幸洋さんもTwitter で日々原発問題に鋭く切り込んでいるし、(ほぼ)原発の特集枠もあって東京新聞の吹っ切れ方(?)は粋です。テレビでも温度差が各局の間に確実にあり、「同局のなかでも番組によって、さらには曜日によって違っている」と述べられています。テレビを見ないのでわからないんだけど、確かに TBS とテレ朝(特に報道ステーション)は比較的フェアな印象です。

暴徒化するような蜂起でなく、万単位の市民が「非暴力直接行動」という形で整然と街頭に繰り出し、しかも週に一度のペースで集っている。それが「有力新聞において全く無視されている事態に異様なものを感じる」という筆者の意見にわたしも同意です。

311前の "原発ルネサンス期"(原発が地球温暖化抑止になるとして - 本当はならないんだけど - 全世界的に原発推進を疑問を呈さなかった時代)には政府の国策に添った報道が席巻し、ルネサンスと呼ばれる時代以前からのことではあるけれど、脱原発の集会や運動にメディアは冷淡であり、市民の「異議申し立て」がニュースになるようなことは滅多にありませんでした。そこで起こった原発の過酷事故。チェルノブイリのときにも反原発運動は起きたけれど、国内でのこの事態に、切迫した市民が当事者性を抱えて本気で抗議に押しかけている・・・「その「本気度」が反映されて、参加人員の急激な拡大、運動の形態の自由な広がり、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)経由の圧倒的な情報の共有、主催者としての政党・労組の後退などいくつものニュース要素が登場してきた。そのことに既成メディアであるテレビは気づいていただろうか?それまでの10年余りの報道の日常感覚に埋没して、「どうせデモやるああいう人たちでしょう」というような慣性・惰性に支配されていなかったか?」・・・ここで筆者は重要な指摘をします。テレビの編集長クラスに 311前の10年(失われた10年)ほどの間に刷り込まれた大衆運動軽視の感覚に色濃く影響された世代が多く、「換言すると、スリーマイル島、チェルノブイリ、JCO事故直後に報じてきた異議申し立ての動きの価値を、これらの世代に継承できなかった僕らの世代の責任」もあるだろうと。

また、「後続世代の大衆運動、社会的な異議申し立てに対するアレルギー、嫌悪感、当事者性の欠如には凄まじいものがある。デモや社会運動という語にネガティブな価値観しか見出せなくなっているのだ。これはおそらく日本的な特殊現象であり、かなり異様な事態である。欧米では、言うまでもなくデモは権利」と言及し、そういった彼らも、アラブの春など国外の大衆運動についてはポジティブな評価を与えている、という指摘も。日本では爆発的な印象こそないけれど、諸外国の昨今の革命に似た動きになってきていると思うのですが。やはり Twitter などの影響は無視できないと思うのだけど、メディア側がいまいちそのスピードに乗り切れていないのかなぁという感じも。

そして根本的な問題点で、日本のメディアのスタンスとして、国民よりも権力側に近い感覚を持つ「官尊民卑」の思想があり、デモの報道の際も警備する側の立場に報道機関側が同調していると、NY Times 東京支局長のコメントの引用文を交えて述べています。(この "「官尊民卑」がもたらす取材感覚の欠如 " の項だけでも、是非原文で全部読んでみてください!お願いします!って誰に頼んでんのかわかんないけど。)

最後に、首相官邸前抗議に 5万人近く集まった日にも取材クルーをまったく出さなかった NHK に対し、どうせ NHK もどこもヘリを飛ばしてこの様子を記録してくれないだろうと怒り諦めた市民によるカンパで、その翌週に民間(「正しい報道ヘリの会」)でヘリを出して報道・撮影がされたという逸話を紹介し、メディアの情けなさについて触れたあと(わたしもオンタイムで Twitter でこの件を追っていましたが、本当に日本のメディア情けねえなぁとつくづく思った)「NHKの現場の記者たちのなかにも、息苦しさを感じている人たちがたくさんいる。彼らは今、声を潜めている。組織の論理が記者の良心を押し潰しているのだ。」と、若干ディフェンスに入りつつ「メディアに関わるひとりひとりが考えるべき時が来ている」と結ばれていました。なんか、これも悠長なもの言いな感じがしますが、実際に内部的な抑圧と闘って骨のある報道されているようなメディアも見かけはするので、そういう報道の方々の人口が増えてマジョリティとなることを願います。そうなるように、わたしたちもメディアに対して反応をしないといけません(これまでに何度かテレ朝の報道ステーションと朝のモーニングバードで原発の問題をきちんと報道してくれたときに褒めるメールを投稿しました。3分で終わります。けなすだけでなく、よいことをしたら褒める!褒めて育てる!)。

ちなみに、この記事の筆者(金平茂紀さん)のプロフィールに「筑紫哲也 NEWS23」編集長、とあって、あーやっぱり筑紫さんの意思を継がれてる方なんだなぁと(涙目)。・・・では、今晩はこんなところです・・・。

2012/09/11

中長期なんて悠長な

今日、9月11日で震災から丁度一年半です。毎度毎度いまだに口を開けば原発のことしか話さないわたしですが、やはり思い起こすはメルトダウン、もとい、メルトスルー・・・あんなことがあってから一年半後にいまだ政府がこの国の原発を即時なくすという決断をしていないなんて(その一方で先日、タイの副首相は「国民を危険にさらしたくない」という理由で原発の導入を断念する発表したそうです。福島の事故を受けて、とのこと。)。被災地の復興だって、問題は山積。廃炉に向けての道のりも長いわけで、早くに始めるに越したことはない。

今の政府というより、経済界電事連や経産官僚の汚ない圧力によってなかなか事が運ばないのはわかっているけど、政府も民主党も「原発ゼロ」の方角は向いていても、まごまごしやがって中途半端な宣言に留まるのみ。しっかりせぇよ。
民主党のエネルギー環境調査会の素案(9/4時点)では;
・原発は40間年の稼働で廃炉
・原子力規制委員会の安全確認を得た原発のみ再稼働
・建設中を除き原発の新設・増設はしない
の3原則を明記。この原則を厳守することで「2050年代前半には国内に稼働する原発はゼロとなる」とする一方、脱原発を求める世論の高まりを受けて「原発ゼロ社会を可能な限り早期に実現すべきである」とした、と。2050年て。うちの子、42歳なんですけど。

・原発に依存しない社会の一日も早い実現
・グリーンエネルギーの拡大
・エネルギーの安定供給
を三本柱にするとして、新規増設はしないとも言っていますが、安全基準を満たせば40年上限に活用するとも言っており、お前はなにがしたいねん!と。しかし褒めるべきところもあり、高速増殖炉もんじゅ(アナウンサーが言いにくい言葉ベスト3に入っている難ワード。みんなも発音してみよう!)や原子力委員会の廃止、使用済み核燃料の処分問題の解決に直ちに着手(というか着手してなかったんかい)、発送電分離を断行、などなど進捗は見られます。

以前から思っていたことだけれど、日本は、政府は「長期的に」は脱原発に向かっていることは間違いないし、そこのところではまやかしはないのだと思うのだけれど、かえって面倒なのは「長期的でいっか」としちゃっている呑気さです。危機感ゼロ(誰も責任をとらなくていいシステムになってるからね)。紛れもない地震の活動期の今、そんなことを言っている間に過酷事故がもう一度起きてしまう - 再稼働すると10年以内に過酷事故の可能性があるという原子力委員サイドによる試算すらあるのです。二度目は絶対にあってはならない。第二の福島を、国内のどこにもつくってはならないし、狭い日本でもう一度同じことが起これば、暮らす場所も畑を耕す場所もなくなってしまいます。先送りしている猶予はないし、電力自体も原発をすべて止めても足りている。大飯原発を再稼働させなければ夏は越せないと、関電は大ウソこいて急かしたけれど、結果動かさなくても電力は供給できました(チャンチャン♪)。中長期というのは、来週も来月来年も安泰であってこそのタームで、間近な日々が正常でない限り「中長期」な先なんてやってこないのです。まずは被災した方々や地域を復興の軌道に乗せ、子どもを健やかに育てられるような環境にして、人間が生きるのにリスキーすぎる原発をきちんと止めてから、それから「中長期」とかほざけよ!と言いたい(怒)。

原発の即時撤廃を求める民意に逆行するような暴挙を、数えられるほどの一握りの官僚と閣僚が平気で行うのは独裁政治ですよね。これは原発の問題に限ったことではない。腹立たしいことではあるけど、それを許して黙ってきたのはわたしたち。いまの議員たちを選挙で選んだのもわたしたちです。政治は民度を反映したレベルにしかならない。昨年の4月の選挙はショックの中でみんなきちんと考えられなかったのだろうと思うけれど、来る選挙ではこれまでと違う有権者の動きが見られるかな。Twitter で誰かがつぶやいていたけど「この原発事故で変われなかったら、日本(人)はもうダメかもね」というのは、強くうなずきます。

【気になる情報】
先日の投稿でも熱く紹介した首相官邸前抗議ですが、金曜夜の抗議活動は全国各地に飛び火しており、大阪関電前でもかなり関西パワー炸裂らしいという情報が。いいなー。やっぱり怒り方とかストレートでいいなー。あ、関西の方はゼヒ関電前へ!

【 9/12 追記 】
有感の余震、一年半で 8300回 ... そろそろ原発やめようね、もう。

【 9/14 追記 】
今日、政府のエネルギー環境会議が「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」ことを骨子とした革新的エネルギー・環境戦略を発表しました。30年代、ということはつまり「2040年まで」。やはりそんな悠長なことはのめません。また、使用済み核燃料の再処理問題や、たまる一方のプルトニウム、放射性廃棄物の解決については、この戦略の中ではっきりした道筋を言及していません。原発を動かし続ける限り、これは解決どころか問題が膨らむ一方なのにスルー。本気じゃない感じがします。
また、原子力産業協会が、この政府の指針に対して「脱原発など許さん!」(と言ったかは知らないけど)反論してきたとのこと(参考:それに対するピースボートの川崎哲さんの反論)。アメリカもご機嫌よろしくないようだし、経団連の米倉会長は首相に電話しちゃうし、いろいろと圧力はある模様・・・。

2012/09/09

それは、わたしだった

あることについて
いつもなんで誰もそれをやろうとしないんだろう?
と思っていた。
そして、気づいた。
その "誰か" は自分自身なのだと。

というのはどこからか流れ着いてきた格言(言った人不詳)ですが、本当にその通り。すべての大小ある社会の問題の解決に取り組むことはできないけれど、イシューについてはこの世に暮らす各々の役割分担なのかなと思います。

昨年から(厳密には10年前からですが)ゲンパツゲンパツと騒いでいるわたくしですが、他の数多ある世の中の問題たち、時事で言えばオスプレイもシリアも気になりながらもきちんと向き合っていません。その他、小さな自分の身の回りの問題も存在するし、カタいこと抜きの娯楽の時間もあるし、仕事も家庭のケアもある。同様にこの世のわたし以外の人々全員にもそれはあります。寿命に幾分違いはあれど、いっぺんに抱えられる荷物の量はみんな同じだと思います。だからできるところを、できる分ずつ、シェアして取り組めばいいのだけど(理想)。

社会のため、というと大仰だけれど、自分が属する場所や子どもの未来の向上のことです。

先日、市民運動とは無縁の、うちの子の幼稚園のお母さんのひとりから嬉しいメールをもらいました。
「この夏は社会勉強を兼ねて子どもを国会包囲にも連れていきました。私のような事故の前には無関心だった層が意思表示をすることに意味があるように思うので、日常の一つとしてできる行動を続けていこうと思っています。」
まず、これまで声をあげてこなかった人々の意思表示の大切さに触れてくれたことに感涙。プロ市民と呼ばれるような活動する人々の人口はたいして増減ないでしょうが、新規参入の「意思表示するひと」の数がある意味勝負なようなところはあります。そしてもうひとつ、これからの世代への「意思表示の踏襲」です。このママさんはそこまで考えて国会包囲に子どもを連れて行ったのではないと思いますが、わたしは子どもさんの記憶には何かが刻まれたに違いないと思います。デモに子どもを連れて行くのは危険だ(大勢の人でごった返していて危ない/都心の放射線量がそこそこ高いなどなど)といろいろ賛否両論ありますが、わたしは「本物の社会科見学だ!」と言って(あと、帰りにアイス買ってあげる!とかで釣りつつ)デモや抗議に子どもを連れ出していました。何より彼女が大人になったときに、自分に直に関係ないと思われる大きな社会の問題でも(実は必ず関係しているから)全体を思って、声を上げるべきところで意見できるようになってほしいなぁと、いうのがあります。彼女の記憶のどこかに、デモの記憶が少しでも染み込んでいれば、それが当たり前の権利だという考え方をしてくれると思うのです。

昨今のデモなどで、日本で民主主義が最近目覚めてきたというようなことを言われますが、今だけでなくて子ども世代も続けて今沸き上がっている状態を保ってもらわないと、原発問題に関わらず、政治が勝手に動くままに着いていくようでは先行き暗いです。原発の問題も一発で解決して「はい、全基廃炉になりました!勝ちました!」で決着がつくものではなく、長期的にベターになっていくものだし、次々と表れる別の問題を解決しながら進んでいかなければなりません。民主主義も同じで、リペアを繰り返してよりよい状態に保ちながら、つないでいかなければならないものです。行政や企業への監視を怠れば、後退もするでしょう。わたしたちが、望む方向へ進むよう、舵を握るひとたちへしつこく要望をしつづけていかなければ、船はときによからぬ方向へ進みます。幸い、日本では政府に反論したり政治的な運動をしても投獄されたり暗殺されたりしません。そんなえらいことになってしまう国もいまだにあるけれど。

声を少し大きめにあげてみませんか。たくさんの乗員が他にもいるけれど、あなたもわたしもこの大きな船の一員だから。

「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である」- Martin Luther King